
皐月、さつき、鶉月、うずらの月、じゅんげつ。珍宿は乙巳八白土星。3日憲法記念日、旧暦の5月1日は新暦の6月15日なので、梅雨の時期である。
26日は庚申の日。30日は九星陰遁始めの日で甲子(きのえね)である。
新暦の6月22日が夏至で、旧暦の5月8日で上弦の月である。
半夏生は、七十二候の仲夏の末候で、薬草の半夏(からびしゃく)の生える頃で、新暦の7月2日で、旧暦の5月18日である。
新暦の7月7日は七夕で、小暑であり、梅雨明けで、旧暦の5月23日にあたる。このあと浅草の酸漿(ほおずき)市で、夏にはいっていく。
五月雨は、さみだれをあつめて早し最上川で、夏の季語。五月闇とは雨で月が見えない闇夜のことをいう。もう一句、五月雨の 降残してや 光堂。
梅雨といえば、花は、ばしょう、菖蒲、燕子花で杜若、もう一つは、紫陽花。
卯の花腐し、うのはなくたし。卯の花が腐るほどの長雨。
翠雨、ショウウは青葉にふりかかる雨、青楓に雨はまた格別の趣があり、番傘さして翠雨の中、楓を見るのは心静かで、落ち着く。
青時雨とは、青葉からしたたり落ちる雨。
麦雨とは、麦が実る雨。
甘雨とは、草木を潤す雨。
瑞雨とは、穀物の生育を助ける雨。風と同じように日本には雨の時期と時節で様々な呼び名がある。
虎が雨は、曽我兄弟の兄十郎が死に彼女の大磯の虎御前が涙する雨をいい、旧暦の5月28日、新暦の7月12日は雨になることが多く、このころの雨を大磯では虎が雨という。
慶応の巨人、高橋誠一郎の『虎が雨』に出会ってから古書を読み漁るようになったので、この言葉は私に取って大切なことばである。
菓子暦、鮮実、柏餅、花 鉄仙、井出の里、岩根の躑躅、清水、唐衣、藤餅、浮き草、松風、若楓、紫陽花。
季節の銘、梅雨、五月雨、短夜、木下闇、杜若、八橋、水鳥、花橘、鵜飼う、青田、早乙女、葉柳、白糸、泉声、露草、一滴、浮舟、七夕。
梅雨は、旧暦の皐月の季語で、走り雨、送り雨、黒南風(くろはえ)、白南風(しらはえ)
と名を変える。
五月雨とは、さ、みだれ、水垂れ、皐月のころの、あめのことである。雨で月が見えない闇夜を五月闇という。
『四季の雨』という唱歌があり、この詞は非常に立派であるので載せておく。
大和田建樹詞、小山作之助曲、
降るとも見えじ春の雨 水に輪をかく波なくば
けぶるとばかり思わせて 降るとも見せじ春の雨。
俄かに過ぐる夏の雨 物干し竿に白露を
名残りとしばし走らせて 俄かに過ぐる夏の雨
おりおりそそぐ秋の雨 木の葉木の実を野の山に
色様々に染めなして おりおりそそぐ秋の雨
聞くだに寒き冬の雨 窓の小笹にさやさやと
更けゆく夜半(よわ)をおとずれて 聞くだに寒き冬の雨
木下闇、このしたやみ、皐月の季語で、芭蕉の笈の小文に「須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇」があり、須磨寺に敦盛の遺愛の青葉の笛がのこっており、芭蕉は木下の闇で、あたかも、笛の音をきいた。蕪村は「笛の音に波もよりくる須磨の秋」と詠んだ。
能の『敦盛』に、一ノ谷で熊谷直実は平敦盛を討つが、無常を感じ、出家し、蓮生となり、その後、一ノ谷を訪れたとき、青葉の笛を吹く敦盛の亡霊にであう。平家物語の巻9の「敦盛最期」にみえる。
小学唱歌には、『敦盛と忠度』もしくは、青葉の笛で、大和田建樹詞、田村虎蔵曲、
一ノ谷 軍破れ 討たれし平家の 公達あわれ 暁寒き、
須磨の嵐に 聞こえしはこれ か 青葉の笛
更くる夜半に 門を敲き わが師に託せし 持ちしえびらに
残れるは「花や 今宵」の歌
短夜は、ミジカヨとよむ。春は日長ヒナガ、夏は短夜、秋は夜長、冬は短日タンジツといい、夏至は新暦の6月22日、旧暦の5月8日である。古今集、清原深養父の「夏の夜は まだ宵ながらあけぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ」が百人一首に入れられ、新古今集の巻13恋三、1176、藤原清正に、ズバリ、「みじかよの 残り少なく更けゆけば かねてものうき 暁の空」。
杜若、謡曲の『杜若』は伊勢物語を題材としており、植物の精は、ほかに墨染桜、藤、六浦などがあり、主人公の在原業平が三河の国に旅に出て、杜若の名所を訪れる。かきつばたといふ五文字を句の上に置きて。唐衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ。
八橋は、上記の三河の杜若の名所の地名。歌舞伎の「籠釣瓶花街酔醒」の花魁の名。
水鳥は、枕詞で、浮寝、鴨、立つ。鴨、鴛鴦など水辺の鳥の総称で、紫式部日記から「水鳥を 水の上とや よそに見む われも浮きたる 世を過ぐしつつ」。
花橘、はなたちばな、万葉集の巻15-3779に、「わが宿の はな橘はいたづらに 散りか過ぐらむ見る人なしに」。橘はミカンの種で、花をつけるのが皐月。
鵜飼、謡曲の『鵜飼』、殺生を業とした漁師、狩人を主題にしたものには、『阿漕』、『善知鳥』があるが、日蓮が鵜使の亡霊を済度した話。済度というのは菩薩が衆生の句苦海にあるのを渡して悟りの彼岸に、涅槃にいたらせること。ワキが日蓮旅僧、シテ鵜。石和川(いさわがわ)の殺生は禁断されていたのを平時忠がやぶり、鵜を使い漁をおこなったため、土地のものが彼を河になげいれてしまった。これを日蓮が成仏させる。
青田、稲がまだ実らない青々とした田圃のことで、新暦の6、7月の雨量、日照時間、温度が充分でないと、秋の収穫は豊饒とはいいがたくなる。おいしい米ほどありがたい物はない。この皐月の季節の早朝、青田をみると、思わず深呼吸して、力漲ってくる。
早乙女、さおとめ、皐月の田植えをする少女。
葉柳、柳の葉が青葉になるころで、雨に笠の小野道風にカエルが花札の絵で初夏をあらわし、柳に燕は春。
白糸、瀧のこと。素麺も白糸といい、初夏の季語である。瀧の白糸で、紀貫之、拾遺集の雑春に、「春くれば 瀧の白糸いかなれや むすべどもなほ 泡に見ゆらむ」。泉鏡花の『義血侠血』を脚本に川上音二郎が「瀧の白糸」を脚本。
泉声、せんせい、泉の水の流れる音のことで、漢詩からきていて、夏の季語。
露草、つゆくさ科、別称、つきくさ、ぼうしばな、あいばな、あおばな、うつしぐさ、かまつか、ほたるぐさ。さらに、私の一番は雨、番傘に紫陽花。そして、合歓、鉄線。
一滴、しずく、ひとつ。
浮舟、謡曲『浮舟』うきふねは、源氏物語の浮舟からの出典。旅僧が宇治の里女にあい、桐壺帝の八宮の三の君で、薫中将に通うが、匂卿の横恋慕にあい、浮舟は悩み皐月のころ自害してしまう。光源氏の物語に、さなきだに古の、恋しかるべき橘の小島が崎を見渡せば・・・・宇治の名所の橘から、浮舟は五月である。
観世水、かんぜみず、というのは水のながれをしめした文。
燕子花、かきつばた、菖蒲のことで、いずれ菖蒲か燕子花。
朝顔は、江戸で、様々な品種があり、到底朝顔とはいえないような、ラッパ形が完全に消失したものもあり、シーボルトは持ち帰りに失敗している。そのほか、躑躅、金魚、虫籠、傘、提灯、団扇作りが評判がよかった。
当クリニックでは常陸太田の『雪村うちわ』をつかっている。少し黄ばんでいるが丈夫な西ノ内和紙がつかわれており、雪村の繪入りの素朴な団扇で、水戸光圀の愛用品であった。枡儀団扇店の手作りで、四角く、武人、質実剛健の関東人の好む団扇である。
雪村、せっそんは、1504年の常陸国部垂、いまの常陸大宮市の人で、雪舟より腕は上、力強い画風は再評価されている。
七夕は、笹の節句ともいう。書物を夜風に晒し、文芸や裁縫の上達を願って、梶の葉に歌を書いていのったのが七夕で、7月7日なので、七夕だが、棚機津姫伝説から、たなはた、たなばたといわれるようになった。

水無月、角宿、丙午七赤金星、真夏のど真ん中。新暦の7月7日が七夕で、小暑が新暦の7月14日で旧暦の6月1日、新暦の7月16日が海の日で、第三月曜日国民の日で休日。学校は夏休みに入る。海の日は1996年、平成8年から国民の祝日にいれられ、2003年から第三月曜日となった。そして、この日から京都では祇園祭となる。
新暦の7月20日が土用で、土用の丑は7月30日の、きのとうし、の一日だけ。7月23日が大暑、旧暦の6月10日で、新暦の7月25日が大阪天満宮天神祭で、7月28日土曜日は隅田川の花火。新暦の8月2日から青森ねぶた祭り、8月6日は広島平和記念日、新暦の8月8日が立秋で、旧暦の6月26日で、まだまだ暑中。8月9日は長崎原爆の日。8月12日から徳島阿波踊りで、この日が旧暦の6月30日。
菓子暦、水無月、青葉の露、金田、苔清水、夏の日射し。観世水、初蛍、葛焼き、逢瀬、花の露。
季節の銘、白波、祇園祭、氷室、空蝉、蝉時雨、涼舟、打水、夏衣、花氷、夕立、雲の峰、海松、荒磯、渦潮、桐一葉、初風。
白波は、氷に白波をデザインした幡が店先にならぶとかき氷の季節。『われは海の子』
宮原晃一郎詞、大和田愛羅曲に白波がでてくる。
我は海の子白波の さわぐ磯辺の松原に
煙りたなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。
この七番は
いで大船を乗りだして 我は拾わん海の富、
いで軍艦に乗組みて我は護らん海の国。
という、海軍国家のうたにかわる。
祇園祭は、御霊会であったが、宵山は家宝の屏風を飾ることから屏風祭ともいう。八坂神社の祭礼で、日本三大まつり、大阪の天神祭り、東京の神田祭りの日本三大祭りの一つ。貞観11年869年、京都の疫病を鎮めるためにおこなわれたので、全国の国の数の鉾66本を立て祇園の神を祀った。宵山には鉾を立てた山鉾巡行をおこなう。
今は、あの驚異的な巨大さを誇る鉾山が全部で32基のヤマが巡行する。その鉾は長刀鉾、郭巨山、霰天神山・・・木賊山・・・南観音山で、巡行の順は7月2日に京都市役所で籤取り式の籤(くじ)できまる。
先頭の長刀鉾と函谷鉾(5)、放下鉾(21)、岩戸山(22)、船鉾(23)、北観音山(24)、橋弁慶山(25)と最後尾の南観音山の計8基は毎年、順がきまっていて、これらは籤取らずとされている。これらの鉾は、毎年、鉾建、山立てといって、大工方によって7月10日頃から、注連縄でしばりあげて、2日で骨組みを完成させていく。
巡行は、コンチキチンと一番の長刀鉾は7月17日の午前9時に、四条通東洞院西入から東に出立、河原町通で、これを北に、こんどは、御池通を西に、そして新町通を南に、三条まで下る。これで32が順にくりだすので、大層な祭を考えたものだ。おそらく祭りとしては世界一の規模とおもわれる。これこそ世界遺産。
虫干しは、立秋旧暦の6月26日、新暦の8月8日以後の晴天が続くころにおこなわれる。現在は新暦の10月頃がえらばれ、古書、御物の文庫を開扉(かいひ)し曝涼させる。
蝙蝠、こうもりは、ちょっとグロテスクのため凶とおもいきや、蝙蝠の蝠を福に頂戴して、寿福の象徴とされていた。蝙蝠は、市川團十郎七代目の替え紋で、瓢箪と組み合わせた「三升蝙蝠」を考えついた。『暫』での隈取は五羽の蝙蝠を両眉、鼻、口に蝙蝠隈として描き、最高の福としたのである。英語で蝙蝠は、batで、団十郎の蝙蝠人気はアメリカ映画の目かつらのバットマンより凄い。
花火、江戸の花火は納涼と大川での水災害の供養のため、吉宗がかんがえだした行事で、隅田川の花火は新暦の7月の第4土曜日で、旧暦の6月15日で、今年は満月である。
闇に花火に月を狙って一枚のデジカメにのこすのも一興。
厳島神社では管絃祭が7月30日におこなわれ、台風のない水無月がえらばれ、旧暦の6月17日で、満月を少しすぎているが、この大潮を利用しておこなわれる。笙は天、龍笛は地、篳篥(ひちりき)は人を表しているという。
江戸では白米を主食としていたため、贅沢する将軍などは、ビタミンB不足のため、脚気になり、庶民は江戸に奉公にでると、夏に足がやられ、故郷にもどって、茄子のぬか漬けをたべると治ったという。明治に入って、慈恵の高木の麦男爵、駒込ピペットの二木謙三の玄米は、ビタミン発見前の食物、栄養学の基礎を築いた。
賀茂、旧暦の6月30日の晦日で、年の折り返しで、罪穢れを祓い清める行事があり、これを夏越し祓えといった。阿波踊りもそうだが、能の『賀茂』では、秦氏女が川で禊ぎをしていたら白羽の矢がながれてきて、思わず懐妊して男の子が生まれ、その子が葵祭で説明した別雷神で、この母と白羽の矢とで賀茂明神の三所になったという。
茅(ちがや)、幣串(ぬさ)にも用いられる麻は神事に重要な材料で、蚊帳も蚊をふせぐのみならず、目に見えないものから身をまもる結界の意味がある。結界は佛教用語で、身をまもる境界領域のことをいう。
氷室、これがなぜ、夏かというと、旧暦の6月朔日に天然の氷を保存していた氷室から氷を出す日なのである。
空蝉、うつせみ、蝉の抜け殻のことで、魂がぬけてしまった状態をいい、古今集巻第2春歌下の73に、「うつせみの 世にも似たるか花ざくら 咲くと見しまにかつ散りにけり」
716に「空蝉の世の 人言のしげければ 忘れぬものの 離れぬべらなり」。
蝉時雨、喧しいほど蝉の鳴き声。最近は蝉の鳴き声もすくなくなってきて、この蝉時雨という言葉も死語になりつつある。
涼舟、すずみぶね、納涼船で隅田川にも舟はでるが、船底が浅いので、河面と接近しており、近くをみているとすぐに船酔いするので注意。涼傘(すずかさ;ひがさ)、涼衣(すずい)、などのことばがあり、やっぱり日本語って粋ですね。
打水、真夏の路が焼け付いたところに、涼気を取るために水をまくことをいう。これも日本の夏ではの風景で、浴衣で打水がいい。
夏衣、真っ裸でいるよりも、一水あびて、麻のころもをはおっているのが、もっとも涼しい。毛細現象で体温をさげる。
花氷、はなごおり、氷の中に花がはいっている飾り氷をいう。最近はさまざまなものを氷の中にいれたり、氷の彫刻が流行っている。
海松とかいて、ミルとよませる。海藻で、これを文様に利用したり、平安の昔から、深い緑色を海松色といい、高貴な色、おめでたい色とされた。
新暦の8月8日が立秋で、旧暦の6月26日で、まだまだ暑中。

旧暦の7、8、9月は秋。新暦では7、8月は真夏のようにおもうが、旧暦の7月は8月13日で、残暑であるが旧暦7月30日は、すでに9月10日である。
7月は文月、庚申宿、丁未六白金星、新暦の8月13日が旧暦の7月朔日、新暦の8月15日は終戦記念日で、月遅れの盆。旧暦の七夕は新暦の8月19日にあたる。新暦の8月23日は処暑で旧暦の7月11日。
新暦の9月1日は防災の日、9月8日は白露で、旧暦7月27日にあたる。9月9日が重陽であるが、旧暦の9月9日は、新暦の10月19日で、40日ほどおくれる。
旧七夕は、旧暦の7月7日が新暦の8月19日で、笹の節句で、芭蕉は、1689年元禄2年、新暦の8月18日の七夕に奥の細道で日本海側の出雲崎で、「荒海や佐渡に横たふ天河」、と詠んだ。宇宙の雄大さにかけては、この句が天下一。しかし、実際に天の川は見えるのか、それもどの地点から天の川をみれば佐渡に横たわるのかが問題となっているが、間違いなく観察できる。
というのは、旧暦の7月7日にかぎり、晴天の夜空が多く、新暦の7月7日の方はまだ梅雨が完全にあけていない、天候不安定な時期で、夜空は晴天ではないことが多い。そして、いまや光害で、淡い天の川を鮮明に観察することは不可能な日本列島になっている。旧暦では七夕は初秋なので晴天が多く、出雲崎から佐渡をながめていると天の河は確実にみえる。
越天楽、秋の初めになりぬれば 今年も半ばは過ぎにけり。わがよ更けゆく月影の かたぶく見るこそあわれなれ。
立秋は先月であったのに、秋といっても、しかし、まだまだ暑い日が続くが、朝夕、わずかに涼風が立つ文月。
菓子暦、葛饅頭、天の川、氷室、水面の華、野、桔梗餅、葦上用、行者餅、宝袋、軒涼み、瀧の裏。
季節の銘、旧七夕、竹の春、遠花火、朝萩、白露、蜻蛉、逢瀬、花野、野分、酔芙蓉、虫の宿、戸無瀬。
竹の春、竹の秋でしめしたように、竹の春は文月の頃をさす。
遠花火、とうはなび、近くのようにみえるが、実際は遠いものの譬えにつかう。季語としては秋。
白露、早朝、草葉などに降りる露で、白く光って見える美しさをあらわす言葉であるが、
古今集秋下257、藤原敏行の「白露の 色はひとつをいかにして 秋の木の葉を千々に 染むらむ」、紀友則の437、「白露を 玉にぬくとやささがにの 花にも葉にも 糸をみなへし」。ささがに、とは蜘蛛の異称。
泉鏡花は『天守物語』で、秋も彼岸をすぎたころ、姫路城の富姫の侍女たち(打見;ちょっと見て6人、その侍女達の名前は、秋の七草にちなみ、桔梗、女郎花、萩、葛、撫子、薄(尾花)といい、藤袴が省略されているが、天守閣から糸をたらして、釣りをしている。何を釣っているのかといえば草花で、その餌は、「はい、それは白露でございますわ。」、「千草八千草秋草が、それはそれは、今頃は、露を沢山(たんと)欲しがるのでございますよ。刻限も七つ時、まだ夕露、夜露もないのでございますもの。御覧なさいまし、女郎花さんはもう、あんなにお釣りなさいました。」と葛は言う。
蜻蛉、赤とんぼ、古名を、あきつ、という。日本列島は蜻蛉の島で、あきつ島といい、秋津島と記載されている。古事記によると雄略天皇の腕にとまった虻(あぶ)を蜻蛉がはらいのけたと伝えられ、この手柄を讃えて、大和の国を蜻蛉島、秋津島というようになったといわれる。蜻蛉の素早い動きから、勝ち虫として、武家の家紋に使うところもある。
逢瀬、おうせ、相逢う折、面会の時をいう。七夕の織姫、彦星の天の川での年の1回の逢瀬から、恋人同士の逢う機会のことをいい、秋の季語。
花野、は、秋の季語。花見は桜、花野は秋の草花の野。
野分、のわき、とよみ、野の秋草を分けるほどに強く吹く風をいう。定家の「萩の葉にかはりし風の秋の声 やがて野分の露くだくなり」。
天守物語では、富姫の外出を、時々、ふいと気まかせに、野分のような出歩行(であるき)を 、というように使う。
酔芙蓉、芙蓉の花は、中国では蓮の種で、水芙蓉といわれ、日本でみられる芙蓉は木芙蓉といわれる。変種は少ないが、花ビラに少し鋸歯がはいっており、日照時間で変色する。すなわち、桃色の花の色も朝方には白っぽく、夕方には紅色に濃くなる。この状態が酒に酔っぱらった酔人の顔に似ているので、この芙蓉を酔芙蓉という。芙蓉峰は富士山の異称。
花期はまさに文月からはじまり、夏から初秋にかけて、開花のすくない季節で、貴重な存在である。このはと、菊の本番の季節となる。
虫の宿、秋の季語で、近年に俳句で使われることが多い。たとえば、松本たかし氏の「雨音の かむさりにけり 虫の宿」。
戸無瀬、となせ、とよみ、京都嵐山の異称で、ここに、むかし小さな滝があり、戸無瀬の滝とよばれていた。戸無瀬山は嵐山のことである。
金風、秋は五行説の木火土金水で土は土用に使い、金は秋にあてられているので、秋風を金風という。商風(しょうふう)ともいう。これは、あきないのあきをとって、あきかぜをあらわしている。
浮雲、空中にただよって風に従って動く雲で、物事の落ち着かない様をいう。うきめ、というのは、浮いた布、浮いたワカメから、憂き目の意味。秋になると、侘びしさがまし、夏の喧噪もなくなり、世をはかなむ事が多い季節となる。
揚巻、あげまき、簾、すだれのことで、これを巻揚げたのを組紐をむすんで止めておく、その結び方を揚巻結び、もしくは総角結びという。
大相撲本場所の土俵の上の屋根は、吊り屋根といって、昭和27年から採用された。檜の皮葺きで、紫の水引幕が北から張りめぐらされ、相撲協会の桜の紋が白く8紋、染めぬかれている。この中央と四隅は揚巻結びで絞り揚げられている。
四隅の房を四房(しぶさ)といって、北東は青龍神で青、南東は朱雀神で赤、西南は白虎神で白、北西は玄武神で黒の房で、しろぶさ下で、上手出し投げで、朝青龍の勝ちというように表現される。
この日本の紐の結び方、とくに、飾り結びは文化にまで発展していて、日本結び文化学会という学会まで存在する。結び方の書籍は文献の項を参考に。稲穂結びは浅草雷門、桐生屋さんからの直伝で、技術を取得しております。

すずしくなるのは彼岸の、秋分の旧暦8月13日、新暦9月23日以降である。読書の秋、食慾の秋が始まる。
葉月、葉が落ちる月の意味。?宿、戊申五黄土星。旧暦の8月1日八朔は、新暦の9月11日、新暦の9月15日から二日間、岸和田のだんじり祭。藩主岡部長泰が五穀豊穣のため、9月15日、16日である。9月16日は鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬。
17日が老人の日で、月曜日であるが休日。9月23日が秋分で、旧暦の8月13日で、お彼岸、おハギを頂く。この日から涼しくなり、秋めいてくる。この23日が日曜のため、月曜日24日は振り替え休日。
新暦の9月25日が旧暦の8月15日で、十五夜、秋の仲秋の名月で、10月8日が、きのとゐで亥の子餅の日。この10日8日は月曜日であるが体育の日で休日、10月9日は寒露で、旧暦の8月29日。
八朔や 盆にのせたる 福俵
八朔や 犬の椀にも 小豆飯
八朔の 荒も祝ふや てり年は すべて一茶
八朔というのは、八月朔日のことで、農家では、取り入れた稲を皆に分け贈って、次年の豊作祈願、予祝を行う日である。一茶は、この行事につくられる米俵を福俵、ふくだわら、として供えることを詠んだ。旧暦でないと稲刈りが新暦の8月では早すぎる。
ふくたわら、福俵という駅名が千葉東金に実際にある。てり年は、照りどしのことで、晴天続きの干魃にちかいことをいう。
読書、学習の秋で、世阿弥は、舞いで用いられる『序破急』ということばに、哲学を加へ、一切の物事は序破急あれば、申楽もこれに同じという。序はゆっくりと、じっくりと始まり、破で転機をむかえ、急でぴたりと完結する。起承転結に似ているが、スピード、時の経過をふまえているところが、能の発展につくした世阿弥の真骨頂。
月を愛でる能としては、『白楽天』があり、中国の白楽天が船にのって、日本に智恵を拝借するためにやってくる。住吉明神立ちの神が舞楽を奏し、神風をおこし、白楽天を吹き帰す。
白楽天は、不知火の筑紫の海に月のみ残る景色をみて、范蠡が官を辞して、越を離れ、五湖の煙の波の上の景色もかくやと、月も名残かな。この月は有明といって、明け方までのこる下弦の月をいう。
菓子暦は、華の露、浮き草、紫竹、青海波、桔梗餅、かまもち、ひさご、萩の露、うずら巻。
季節の銘、秋天、不知火、玉兎、宵闇、待宵、望月、融、磯鴫(いそしぎ)、武蔵野、白鷺、小男鹿(さおしか)、雁鳴く、柴の戸、苫屋、露時雨。
秋天は、俳句の季語につかわれる。不知火、しらぬいは筑紫にかかる枕詞である。
玉兎、たまうさぎは、清元の踊りで、玉兎月影勝。
月とウサギの意匠は、古代、中国で考案されたが、室町時代の角倉了以(すみくらりょうい;1554-1614)は、京都の豪商で、もとは医者。高瀬川の開削をおこなっている。彼の愛用した金襴があり、これを角倉金襴というが、そのデザインは、花と兔で、花兔文、はなうさぎもんといい、作り土文で、名物裂にもつかわれている。
波と兔の組み合わせは、醍醐帝朝臣が琵琶湖に女弁財天の祀られている竹生島に参詣し、弁財天とその守護の龍神があらわれるが、その『竹生島』の一節、「魚木に上る気色あり。月海上に浮かんでは兎も波を走るか面白の島のけしきや」。
そのほか、兔に木賊(とくさ)の文は、能の『木賊』からきている。そして、これが祇園祭の山鉾につかわれている。木賊は水草で、砥草のことで、硬く直立し、節をもっている。ものを研くのにつかっていたので、この名がのこっている。社寺の屋根を葺くときにも用いる。
『木賊』は、松若が故郷信濃の園原にかえると、そこで、木賊を切る翁にであう。この老翁の子を失った話をきき、彼が松若の実の父であることを知る。
木賊刈る。磨かれ出づる、秋の夜の月影をもいざや刈らうよ、から月に兔と、木賊との関連での文であろう。
江戸、長谷川平蔵の鬼平犯科帳では、兔、うさの綽名は木村忠吾。
宵闇、宵闇が似合うのはフランク永井さんの低音の魅力で、その『君恋し』で
宵闇せまれば 悩みは涯(はて)なし
みだれる心に うつるは誰が影
君恋し 唇あせねど
涙はあふれて 今宵も更けゆく
時雨音羽詞、佐々紅華曲
望月、三五夜は、十五夜のことで、葉月の十五日は仲秋の名月と呼ばれる。能の『三井寺』、『姨捨』、『融』、に登場する。
『三井寺』は、駿河国清見が関の千満(せんみつ)の母は上人の手に渡った我が子の行方を尋ねて、遙々京都まで来て、清水寺に籠って、親子の再会を祈っていたが、三井寺へ参れとあらたに御霊夢を蒙りて候。母はよろこんで三井寺へ来たのが、8月15夜、寺僧は三井寺に、たまたま千満をともなって月見をしにきていた。狂乱の母は、月の興に乗じて鐘を撞き、寺僧はこれを咎めたが、ついに、子、千満に再会し、ともに故郷に帰えり、富貴の家となす。
『姥捨』、をばすて。都の男が仲秋の名月を眺めようと、遙々信濃国に下りを姥捨山に登ると、一人の里女が現れて、わが心慰めかねつ、更科や、と歌をよんで、ここは老女の旧跡であり、都のものならば、今宵の月と供に再び現れて、夜遊びを慰めようといい、自分がこの山に捨てられた老女であると仄めかす。やがて、月が出るとはたして白衣の老女が現れて、仏語を語り、次第に暁になったところで、旅人はかえり、寂しく老女一人がのこされる。介護保険の施設入所者には哀しくて、告げることは苦しい能である。
『融』は、とおる、とよみ、伊勢物語81の「塩竃」に由来する。京都鴨川の六条河原に融大臣の大きな屋敷があった。神無月の晦日方、菊の花、紅葉のちぐさ見ゆる頃、親王たちが遊びにこらえて、酒をのみ、歌を詠んであそんでいた。同席していた、かたゐおきな、(乞食翁)が、庭の塩釜の景色にみたてた造園をみて、
塩竃にいつか来にけむ朝なぎに釣りする船はここによらなむ
と奇妙な歌をよんだという。
これをうけて、能では、東国の僧が六条川原にやすんでいると、田子を擔(にな)った翁があらわれて、汐汲であるという。こんな京都に塩釜があるわけがないといったら、いや、昔、融大臣が、ここは、陸奥の千賀の塩釜を模した所だから、汐汲みというのは当然だという。この汐汲みが去ったあと、融大臣が現れて、月前の舞いを楽しみ、夜明けに月界に帰って行ったという。複式夢幻能である。
源融の造園は、その池には三十石船が浮かび、海水の底には魚、貝がいたという。烟(けむり)りが絶えたことがなかった。しかし、今は跡形もなし。これを古今集巻16-852、紀貫之は「君まさで烟絶えにし塩竃のうらさびしくも見えわたるかな」とよんだ。
稲負鳥、いなおほせ鳥。いなおほせ鳥がなにの鳥か不明だが、鶺鴒せきれいか、朱鷺か白鷺ではないかとみられている。古今集秋歌上208、「わがかどにいなおほせ鳥の鳴くなへにけさ吹く風に雁は来にけり」、秋歌下306の壬生忠岑、「山田もる秋の仮庵に置く露はいなおほせ鳥の涙なりけり」。
小男鹿、さおしか、牡鹿のことで、小男鹿の入野のすすき・・・、と秋の季語。新古今の巻5秋歌下444、藤原良経の「たぐへくる 松の嵐やたゆむらん 尾の上に帰る さ牡鹿の声」。
雁鳴く、かりがね、龍田山、小倉山は紅葉で秋の季語。
柴の戸、粗末な家のことで、柴の戸もあけゆく山の峰なれば、新古今に巻6、冬572の清輔の『柴の戸に入り日の影はさしながらいかにしぐるる山辺なるらむ』。苫屋、これも粗末な家のこと。
露時雨、つゆしぐれ。露がいっぱいで、時雨が降ったように濡れていること。近江八景で勢多(瀬田)の夕照で近衛信尹の「露時雨もる山遠く過ぎきつつ夕日の渡る勢多の長橋」

長月、旧暦の9月1日は新暦の10月11日に当たる。夜長月から長月といわれる。菊の季節で菊月。房宿、己酉四緑木星。
旧暦の9月1日は更衣の節で、新暦では10月11日。 9日は旧重陽の節句で、新暦の10月19日。新暦の10月24日、旧暦9月14日は霜降で秋深くなり、新暦の11月3日は文化の日で、土曜日。この日は戦前は四大節で、明治天皇の誕生日にあてられていた。
旧暦の9月29日は立冬で、新暦の11月8日。
御所解(ごしょどき)文様というのは女性の着物で、菊などの四季の花々をあしらった風景文様で、公家、高貴の女性が使用した。江戸解き文様ともいう。
皇室の菊の御紋は花びら16枚で芯は小さい丸、周囲を円周でかこまれた、いわゆる十六弁八重表菊紋である。鳥羽天皇の時代から愛用されているといわれ、明治2年太政官布告で制定された。現在のパスポートなどの日本政府の紋章は桐である。
『菊慈童』、きくじどう。能で、能柄は4番目、一段劇能。魏の文帝の臣下が、勅命によって、不老長寿の薬の水を尋ねて麗縣山に登った。それより、700年前の周の穆王(ぼくおう)に仕えていた慈童が、王の枕を踏み越えた罪で、この山に配流させられた時に、帝から給った普門品の二句の偈の要文を菊の葉に写して、その露を吸っていたので仙人となって、今まで生き長らえていたのであった。慈童自身も自分の長命に驚いて、この寿を文帝に捧げたという中国故事で、太平記の13巻の「龍馬進奏の事」にでている。菊にちなんで、長月に演じられる。
真行草(しんぎょうそう)ということばは、真書(楷書)、行書、草書のことで、筆書の書き方で、くずし字、その構成、形式の美として、茶道、芸能、作庭、建築にも廣く使われている。茶道では、侘び、冷え枯れを草といい、くずした形をいうのではなく、真の対極として、より精神性の高い究極、破格の情況をいう。このように万事、ものの侘びた風情を楽しむのは四季では秋であるため、真行草が秋の季語となっている。
岡麓、本名、岡三郎、本郷区金助町一番の通称傘谷の幕府の御典医の子として、明治10年に生まれる。5歳の時から市川万庵の書塾で唐様を学び、宝田通文の精義塾で国漢、和歌を学ぶ。その歌、筆跡、ともに最高峰であった。御典医であったため本草学にすぐれ、明治31年、松山から上京していた正岡子規とともに、俳句、短歌革新に根岸短歌会の重鎮となっていたが、明治35年子規没後貧窮し、大正2年から聖心女子学院の習字担当教師となり、関東大震災で傘谷の家全焼で、代々木にうつった。この時から作風は飛躍的に伸びたと本人は述懐している。
戦中に信州明科に疎開し、終戦後、昭和24年に日本芸術院会員に推挙されたが、昭和26年74歳で、信州でその轗軻不遇の人生を終えられた。
しかし、その歌とその筆硯は和歌の最高峰で、過去にも、追従にも、比肩するものは皆無である。ピアニストと同じで、ショパンやリストやラフマニノフのような大ピアニストは作曲も演奏もどちらも立派だったのである。
特徴はくずし字が正確であること、と草木花を知りつくした自然観察の目の確かさ、筆跡にカスレがまったくないことである。途中で、墨を追加することがなかった。そのための筆、墨、硯に工夫されていたようであるが、内容はいまだに不明で、その真行草を相承するものはいない。
山茶花が咲き始める。
菓子暦、白露、秋の月、初雁、雲流、萩の道、野分、満月、千代月草、遠砧、まさり草。
季節の銘、重陽、菊の露、菊重、松風、砧、猩々、有明、弓張り月、稲雀、籬の露、葦笛、嵯峨野、錦秋、唐錦、竜田川、紅葉山、豊穣、柴舟、千声、夜長、秋深、俊寛。
重陽、9月9日。菊の節句。
菊の露、菊の雫、菊慈童の意味から長寿の水薬をいう。
菊重、きくがさね。襲の色目で、表地が白、裏地が青緑、蘇芳の重ねの色目。
新松子、しんちぢり。青松毬(あおまつかさ)のことで、松のちいさな芽は1年かけて成長し、秋に大きくふくらんで、褐色となる。常磐の松も、ゆっくりと成長しているのである。落ち松葉はかつては、風呂焚きの燃料として、重要であった。茶褐色になったものを松ぼっくりは、松笠といい、種子、実のかたまりで球果という。
松風は、松林を通り抜ける風で、松籟(しょうらい)、松濤、松韻ともいい、秋の季語で茶道にも用いられ、茶を点てるとき、その温度の加減を湯相(ふあい)というが、颯々(さつさつ)というような松風に似た音で判断している。和辻哲郎に『松風の音』という文章があって、欅の風とはちがった趣があり、これを楽しむスコレー、ひま、余裕がある、この平静心を戦後の日本人は希求しなければならないと述べている。
砧、きぬた。麻などをたたいて、繊維をやわらくしていくことを砧というが、
謡曲『砧』は、九州蘆原の何某は自訴のことがあって、三年前に上京していたが、侍女夕霧を国にかえした。国もとでは妻と侍女が砧を打ち、寂しさを慰めていたが、夫は帰国せず、妻は狂い死にしてしまう。夫は急遽駆けつけるが、砧の音なく、松風も聞こえず、梓弓にかけて亡霊を引き寄せ、法華読誦にて成仏する。松風から秋の季語。
猩々、しょうじょう。酒のみを猩々、しょうじょうという。これは、中国の伝説のさけのみで、アルコール性中毒は、赤ら顔で、これを猩々緋という。神無月は酒の醸造が始まる月で、酒の月で、猩々も神無月の季語となり、ポインセチアの赤は猩々木という。
謡曲、『猩々』は、支那のかね金山の麓に住む、こうふう、という者は親孝行であった故に、不思議な夢を見て、酒を売り、次第に富貴の身となった。ここに市毎に来て酒を飲むものがあり、その名をたずねると海中にすむ猩々だという。こうふうは、洛陽の江のほとりに出て、猩々の浮かび出るのをまっていた。すると、果たして、猩々が出てきて酒を飲み舞いを舞い、こうふうの心の素直を賞して、汲めども汲めども尽きず酒の泉をあたえた。
有明、あけがたのこと。有明の月の、上弦の月を、弓張り月という。弓張り月は大和物語の132の凡河内躬恒の、月いとおもしろき夜、
照る月を 弓はりとしもいふことは 山べをさして いればなりけり
有明の西山に沈む月は、上弦の月で、山にむかって矢を射るような弓にみえる。
稲雀、いなすずめ。秋の季語で、稲が熟す頃に稲をたべに雀の群れが田圃に集まってくる。これを案山子や、鳴子などで嚇して近よらないように策を練るが、いたちごっこ。
籬の露、まがきのつゆ。竹や柴などを編んでつくった垣根をまがきといい、ませ、ともいう。ここについた露や籬の菊は秋の季語で、籬の菊は、琴の山田流の筝曲名。
葦笛、あしぶえ。葦の葉笛、葦の葉を巻いた草笛で、猩々にでてくる。
嵯峨野は、あきの季語。
錦秋、きんしゅう。紅葉をいう。
唐錦、からにしき。織る、裁つ、縫うの枕詞。唐錦絨(からにしきおどし)は、両端を折り返し、芯をいれたおどし。
柴舟、しばふね。柴を積んだ舟のこと。
千声、せんせい。鶴の一声、時鳥の一声に対し、ピーチクパーチクうるさい、雀の千声。最近頓(とみ)にきかなくなった。雀も激減しているのだろうか。
夜長、秋は夜長で、冬は短日。
秋深、芭蕉の「秋深き 隣は何を する人ぞ」、これは秋深し、では間違い。深きが正しい。
俊寛、しゅんくわん。能の『俊寛』では、この能のみ専用の面をつけて舞う。能柄は4番目、一段劇能。俊寛らは頃は長月、時は重陽、所は山路で企て。硫黄島にながされた。中宮妊娠の大赦がでて、迎えの船がくるが、赦免は丹波少将成経と平判官入道康頼の二人のみで、俊寛は残される。何かのまちがいですと、舟を沖までおいかけるが、突き放され、舟はこぎ出されていく。平家物語では巻3の「足摺」にみえる。
日本の四大演劇は、舞楽、人形浄瑠璃、歌舞伎、能であるが、歌舞伎以外は仮面を装着する。仮面と能曲はどちらがさきに制作されるかという疑問に、中村保雄氏は仮面が先とされている。仮面は翁、飛出、?見(べしみ)、天神、尉、男、女の仮面があり、飛出というのは、目がとびだしていて、口もとは阿形で、あ〜、とあいている面。?見は眉間を寄せて、口は、ん、吽形に、強く食いしばって閉じているのをいう。
『弱法師;よろぼし』、『景清』、『俊寛』、『蝉丸』の能で装着、着面する仮面は、それぞれ固有のものがきめられている。俊寛の面は、目が虚ろで、やや、垂れていて、眉は、への字で、苦悩、落胆、絶望、憔悴が現れ、とくに言葉を失った半開きの口元が特徴。

これより旧暦の10、11、12月は、冬にあたる。
神無月、新酒の醸造にはいるために、醸成月(かもなしづき)ともいう。心宿、庚戌三碧木星。旧暦の10月1日は11月10日にあたる。私のもっとも愛する、素朴な高千穂神楽がはじまるのが旧暦10月11日、新暦の11月20日、10日14日が小雪で、新暦の11月23日で、勤労感謝の日で金曜日であるが休日。旧暦の10月28日は大雪で、新暦の12月7日。
神はみな、神渡しといって、冷たい北風に吹かれて出雲大社にあつまる月で、日本各地の神は留守の月にあたる。
神といえば神社。その神社に参詣するときは、先ず、鳥居を潜る。その鳥居の部称は上から笠木、鳥木、台輪、貫、神額(額束)、柱、藁座、基礎の石を亀腹という。厳島神社には柱に、副柱がつけられている。神殿のつくりは、今回省くとして、祭器具(さいきぐ)
として、御神鏡、御簾、幌(とばり)、紙垂(しで)、真榊、神籬、故床、修祓用具として、薦、玉串、幣立、勾玉、曲玉など。
神無月、10月は亥の月で、新暦の10月8日が月曜日で体育の日で休日で、この日が、きのとのゐ、玄猪(げんちょ)といって、亥の刻(午後10時頃)に餅をたべて無病息災を願う、亥の子の日であったが、旧暦の10月の、所謂、旧亥の子の日は、かのとゐで、新暦の11月13日。
しし鍋(ぼたん鍋;花札の牡丹に唐じしから)なら、両国橋の袂の老舗「ももんじゃ」。百獣屋、ももじゅうや、からきている。当主で八代目で、以前は数軒あった。しし肉は別名、山くじら、ともいい、江戸、享保年間の時の看板には「くじらや」とかかれていた。猪の肉は脂がのっていて旨い。特に骨付きカルビが最高で、「いの一番にうまいシシ」からイノシシといったという。寝小便の治療にもよいとされた。また。鈴鹿の山のイノシシが上質とされ、アンチャンといわれた。
新暦の11月11日が己酉、つちのととり、一の酉で、旧暦の10月2日。新暦の11月23日、勤労感謝の日が、二の酉である。旧暦の10月14日。
新暦の11月15日は七五三。七歳の女の子の帯結び(帯解;おびとき)と、五歳の男の子の袴着け(袴着;はかまぎ)、三歳は男の子、女の子ともに髪置(かみおき)で、息災加福の祈願で、産土神(うぶすながみ)の神社に参拝する。京都には旧暦の3月13日に13歳の少年少女が虚空蔵に参詣する「十三参り」があった。
子寶に恵まれ、生まれて三日目を「三つ目祝い」、「五日目を五夜目」、七日目は「お七夜」。このとき新生児の名前を披露し、役所にとどける。出生届は14ヶ日以内におこなう。性別、日付と時間が必要。母子手帳を作成し、予防接種はBCGからはじめていく。三十日後にお宮参り。百二十日後には「お食初め」。
菓子暦、唐錦、もみじ、文の菊、光琳菊、丹波路、山土産、初秋、遠紅葉、着せ錦、よわい草、園の菊、千代菊、亥の子もち。
季節の銘、旧玄猪、時雨、小倉山、紅葉狩り、村雨、邯鄲の夢、小夜時雨れ、猩々、落穂、柴垣、薄野、茜雲、神渡、深山路、福良雀、小春日。
時雨、しぐれ。神無月と時雨をよみこんだ和歌は多いが、
神無月 時雨降りおける楢の葉の 名におふ宮の 古言ぞこれ
古今997文屋
神無月 ふりみ降らずみ定めなき 時雨ぞ冬のはじめなりける
後撰集
神無月 風に紅葉のちる時は そこはかとなくものぞかなしき
新古今552高光
そむれども 散らぬたもとに 時雨きて 猶色ふかき 神無月かな
慈円
初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり
おくの細道 芭蕉
時雨に映えるのは錦繍(きんしゅう)は、暗い闇に浮かぶ金屏風のような幽玄の世界を彷彿させる。芭蕉の忌日は旧暦の10月12日で、時雨忌という。
村雨、むらさめ。叢雨ともかく。ひとしきりふっては止み、止んでは降る雨のことで、俄雨(にわかあめ)、驟雨、白雨、しばあめ、と同意語。
邯鄲の夢、能の『邯鄲』は、かんたん。蜀の廬生というものが、善知識の教えを受けようと、楚の国に赴くが、その途中、邯鄲の里に村雨の雨宿りで泊まり、宿主から枕をかりたら、夢で、勅使が迎えに来て、天子の位に昇り限りない栄耀栄華を尽くした夢をみた。これは粟飯を炊く間の短い夢に過ぎなかったが、人生そのものが夢であることを悟り得て、よろこんで帰国する。これは、唐の李泌の枕中記を出典としている。村雨から冬の季語となっている。
小夜時雨、さよしぐれ。初冬の夜のしぐれ、雨。
三輪、謡曲『三輪』みわ。桓武天皇の篤い信任を拒んで山居していた玄賓僧都の許へ、樒(しきみ;仏前草)のための閼加(あか;水)を汲みもってきていた女が、秋深き日、僧の衣一重戴きたいという。女を僧は追い三輪明神の神杉に僧都の衣がかかっていた。女は明神住吉の神であった。女神は僧より仏法を教わり、伊勢の天照大神とともに僧に謝意を告げる。
非時香菓、ときじくのかぐのこのみ。橘の別名で、日本書紀に田道間守が常代から垂仁天皇のために持ち帰った霊薬をいい、季節を問わず、芳香を放つお菓子の意。そして、菓子の神は田道間守(たじまもり)を祖神とする。万葉の時代から、柑橘類はノド風邪の薬である。
神渡、かみわたし。出雲大社にわたる神々を送る風をいう。
深山路には、深山苧環(みやまおだまき)、深山薄雪草、深山酢漿草(かたばみそう)、深山桜、深山猫目草、深山嫁菜などがある。
福良雀、ふくらすずめ。すずめをおしつぶしたようなおもしろい、福を呼ぶそうな雀をいう。
小春日和、初冬にはいっても、ときに暖かい日があり、これを小春日和という。

霜月、霜の降る月、辛亥二黒土星、旧暦の11月1日は、新暦の12月10日で、旧暦の11月13日が冬至で、新暦の12月22日。新暦の12月23日は天皇誕生日で日曜日で、24日は月曜日は振替え休日。12月31日大晦日は旧暦の11月22日で、2008年の正月は、旧暦では、まだ11月23日。
山茶花がさきはじめる。
23日は勤労感謝の日で、小雪で二の酉。
旧暦の11月15日は新暦の12月24日で、満月で、七五三であるが、新暦の11月におきかえられている。
新暦の12月22日は、大切な冬至で、旧暦では11月13日。平安時代は「御暦の奏;ごりゃくのそう」といって、天皇に暦を納める日であった。
歌舞伎の顔見世がはじまるので、顔見世月ともいう。
秋深くなり、秋を司る女神は竜田姫である。奈良の西にある竜田山に由来する。
雪について、この結晶を観察し、雪華図説を書いたのは土井利位で、結晶は花のよう綺麗が、かおりがないので、これを不香の花という。
菓子暦 色づく、山路、垣根菊、高雄、紅葉狩り、錦織餅、山茶花、枯葉。
季節の銘、寒月、隠れ里、常磐、千年翠、口切、旧玄猪、朽木、霜枯、木守、枯野、玉霰、たまあられ、初氷、水鳥、虎落笛、敷き松葉、浦千鳥、冬ざれ、不香の花。
寒月、かんげつ。冬のよぞらには、寒月のオリオンが似合う。
千年翠、せんねんのみどり。松樹千年翠、松の木の翠が千年と長く続くように。
口切、くちきり。茶壺の口を切って新茶で茶を点てることより、物事のはじまりをいう。
朽ち木、くちき。朽ちた木を意匠につかう。朽ち木形。
霜枯、しもがれ。霜で草木が枯れることをいい、霜枯三月とは年の暮れの景気の悪い三ヶ月をいう。
玉霰、たまあられ。あられの美称。本居宣長の言語用法の説明書の著書名。
初氷、はじめてはった氷。
水鳥、の枕詞は浮寝、鴨、立つ、でいずれも冬の季語。
虎落笛、もがりぶえ。野尻抱影の手賀沼でのゆふの鴨狩りのところを『愛をしき星宿たち』星のコラムで紹介したので参照して。ゴウーという水面をはうような風の音をいう。
冬ざれ、冬の荒れさびた頃をいう。

師走、箕宿。壬子一白水星。師走は、日時が果てる、仕事をしおえるの「しはつる」からきている。年末で忙しく駆け回るからではない。
旧暦の12月1日は、新暦では、すでに2008年にはいり、平成20年1月8日にあたる。
大寒は新暦の1月21日で、旧暦の12月14日である。節分の2月3日は旧暦では12月27日で、次ぎの日4日が立春で旧暦の12月28日にあたる。2月6日が旧暦の大晦日で年末。
立春は旧暦では次の年になることもあり、暦で年を行き来、するので、古今集の春歌上の巻1 在原元方の
年のうちに春は来にけり ひととせを こぞとやいはん 今年とやいはん
旧暦の12月30日、大晦日、おおつごもりは、新暦では平成20年2月6日にあたり、
小晦日とは、大晦日の前日、旧暦で、12月29日、新暦で12月30日のことをいう。
「雪中の四友」といって、椿、臘梅、水仙、山茶花をいい、とくに臘梅は、芳香優雅で、大寒(新暦1月21日、旧暦12月14日)に咲き、春支度の花、別名、迎春花。したがって、師走を臘月ともいう。
旧暦の13日は、すす払い。新暦での12月13日に大掃除をする人がおおく、師走は忙しい。仙洞御所をはじめとして全国一斉に大掃除。江戸城の大奥でもこの日はすす払いで、これがおわると、老女を胴上げした。川柳に、
御つぼねは そっとそっとの 十三日
いつも口やかましい大奥の老女もこの日は立場が変わって、胴上げをやさしくやってねと願う気持ちをよんでいる。
そして、14日は(旧暦の12月14日は、太陽暦の1月21日の大寒である)赤穂浪士の討ち入り。13日のすす払いの川柳に、明日は討ち入りとは知らず仕事にはげむ吉良邸で
あくる日は 夜討ちとしらず 煤をとり
義士祭は太陽暦に改暦されても、新暦の12月14日に行うようにしている。旧暦より40日ほどはやくなっているので、暖かい義士祭がおおくなってきている。赤穂浪士の討ち入りだけは年内でおこなわないと、年明けの正月では白けてしまう。
新暦の23日は平成天皇の誕生日で日曜日のため、月曜日振り替え休日。大晦日は年越し蕎麦で、月曜日、つちのとゐで平成19年は終わる。
冬ながら 空より花の散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ
大晦日には徳川では瑞草といわれる万年青(おもと)を床の間に飾り、家内安全、祈願成就し、初春を祝った。正月には千両、万両、寒椿、侘助が愛でられ、とくに、雪中の四友以上に、その赤は、雪の白に映える。
次年の節分は新暦の20年2月3日は、旧暦の12月の27日で、4日は立春で旧暦の12月28日である。
菓子暦、深山の雪、侘助、初雪、木枯らし、冬木立、しばの雪、松枝、冬の兎、麦代餅、姫椿、朝ぼらけ。
季節の銘で、春支度、雪の花、霧氷、冬籠り、寒椿、冬灯、忙中閑、門木、勧請吊、蕪村忌、網代木、小晦日、風花、暮雪、千秋楽、埋火(うずみび)、去来。
春支度、旧暦の12月朔日は、新暦の1月8日にあたる。花木が開花しはじめ、初春にむけ、化粧をはじめる。この時期は空気は乾燥しているので十分な水やりが必要だ。また、春支度、万年青、おもと、とよむが、正月の床の間の飾りとして、代々さかえる瑞草とされた。
雪の花、とは雪の結晶で、六角形で、六花、雪の華、不香の花、玉の塵といわれ、旧暦にみられる自然をまとめて、古来より雪月花といわれ、とくに、雪の美しさは冬の風物詩。
江戸の土井利位(としつら)の『雪華図説』がしられている。
逆に雪の中でも花をさかせる梅は、別名、香雪、雪君、氷花ともいう。
霧氷、寒中の氷の亀裂を意匠、デザインにした、氷竹文(ひょうちくもん)。
冬籠は、春にかかる枕詞で、古今集巻6、323の紀貫之に、
雪ふれば 冬こもりせる草も木も 春に知られぬ 花ぞ咲きける
331に
冬こもり 思ひかけぬを木の間より 花と見るまで 雪ぞ降りける
寒椿は、山茶花の変種で、その山茶花はツバキ科。花は八重咲きである。
冬灯、ふゆともし、と五文字で、俳句の冬の季語。寒灯とともにもちいられる。
忙中閑、はもともと、師走の忙しさのなかでのちょっとした閑。忙裏ともいう。
門木、勧請吊、かどき、かんじょうつり。鳥居のように、結界の彼岸、此岸の区別のため、吉祥性をつけるための木枠、門で、これに邪気を祓うために、鳴子、わら、植物、護符をつけて、つるしたのを勧請吊りといい、注連縄と違い、一年中吊しておくが、煤はらいの大掃除のあと、新しいものに吊し替えられる。
蕪村忌、天明3年、旧暦の12月25日で、新暦の2月1日である。新暦におきかえて、クリスマスと同日におこなう。与謝野蕪村(1716-1783)の終焉地は京都市下京区仏光寺烏丸西入で、貧乏で、「首くくる縄切れもなし年の暮れ」を詠んで、「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」が臨終の俳句である。
網代木、とは、網代にもちいる杙(くい)のことをいう。網代車は、花鳥を繪模様で、車箱をはった牛車をいう。百人一首の藤原定頼の「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれ渡る瀬々の網代木」。これから冬の和菓子の「朝ぼらけ」がある。
小晦日、は大晦日の前日、旧暦の29日、新暦の30日をいう。大晦日、おおつごもりは大月隠、おおつきこもり、からの転訛で、おおみそかは、大三十日、おおみそか、からきている。
風花、かざはな。初冬の風が立って雪または雨のちらちらと降る様をいう。または、風颪、かざおろし、のことで、風上の降雪地から雪片が風に送られて他の地のまでまばらに飛来することをいう。最近よくつかわれるが、かざはなまいさん。森山直太朗くんの名で風花。これも、かざはな、というよみかたで、この曲の詞を下にしめすが、森山君、なかなかやりますなぁ〜。
帰れない世界の外で、小さく君を抱いた。静かに時は流れて、瞳を伏せる。
僕たちのエデンの園に咲き誇る林檎の花。
退屈な本を畳んで、その実を囓る。ずっと探してた愛し合う意味を
風に撰(さら)われた哀しみの理由を、震える長い睫毛。
ルルリラ、風花が濡らす。
暮雪、ぼせつ。瀟湘八景の江天の暮雪、比良の暮雪(近江八景)、内川の暮雪(金沢八景)が有名、近江は近衛信尹の「雪ふるる比良の高嶺の夕暮れは花の盛りすぐる春かな」、金沢は、京極高門のうたに、「木陰なく松にむもれて暮るるともいざ白雪のみなと江のそら」。どちらも暮雪は読み込まれてはいないが、比良と内川の暮雪を詠んだ歌である。
八景で詠むのは、晴嵐、夜雨、秋月、落雁、帰帆、暮雪、夕照、晩鐘の八つである。
寒禽は、寒さにたえて河面に、浮き寝鳥、凍鶴(いてづる)、千鳥などの鳥々のことで、「かじけ鳥」ともいう。かじけというのはこごえる、の意。
千秋楽、千秋とは千年、千歳、ちとせのことで、永遠、長い年月をいう。楽は雅楽曲のことで、唐楽で、舞いはない。『高砂』の最後の「をさむる手には、寿福を抱き、千秋楽は民を撫で、萬歳楽には命を延ぶ。相生の松風颯々の声ぞ楽しむ颯々の声ぞ楽しむ」と用いられていることから、演劇、相撲などの興行期日のおわりをいうようになった。
埋火、うずみび、灰に埋もれた炭火。枕草子の冬で登場、わろし。
去来、向井去来。去来今、ゆくとし来る年、未来、現在、過去。すなわち三世のことをいう。

識語、しきご。というのは写本の最期の但し書きのことであるが、ここで使う。
暦は日本列島が地球上で一番おもしろいだろう。このコラムは2007年1月25日、旧暦の12月5日に書き終えたが、冬の朝明け、東から太陽がのぼりはじめる午前6時50分ごろの東のそらは、オレンジ色にかがやいている。夕日の沈む時の茜空とはすこし、色合いがことなる。この色はどのように表現されていたのだろうか、また、どのように表現すれば、ピタリと色合いを言い当てることができるだろうか。
アラスカや北欧では、夏には、昼間がずっと続いて、太陽はいつまでも沈まないし、冬はいつまでも暗くて、日は昇らない。春めくといっても真夏と区別するためにはカレンダーで日付を確かめないと、節気などはほとんどなく、気付かない。
赤道直下では、常夏で、こちらも節気を感じることはない。地球の傾きと、日本の緯度に感謝しなければならない。
人々の自然の観察と繰り返しの概念をみつけだしたのは、2500年以上のむかしの中国で、驚異としか表現できないが、宇宙から地球をながめていても、細やかな四分されたこの天来玄妙の季節や暦はまったく興味対象にはならなくて、やっぱり、日本列島に住んでみなければ、暦は解らない。日本人は実に貴重な四季等分の体験をして、ときには豪毅果敢な心意気を、時には平静洒脱で、細やかな情味溢れる風趣を吐露してきたのである。
そして、この四季をきめ細かく観察したものを歌によんだり、暦をみて、祭りを起こしたり、日常生活に強弱や、けじめをつけるための行事を考えだした。その旧暦の底力を、日本の伝統美から感じるには、相当の暦の研究と和歌の研究をしなければ理解できないのである。
玄米の二木謙三(1873-1966;93歳)はいう。かつて、日本は健康そのものの国であった。大食短命、少食長寿で、四季等分の自然に何不足なく、くらしていた。これが欧米の肉食摂取が渡来して、忽ち、結核蔓延、癌発生大国になってしまった。病なき日本をとりもどすには、旧暦を知らなければならない。
月々の手紙の文例を示したものに、菅原道真の『十二月往来』があって、往来は往く来るの手紙を表しているのだが、一月元日節会、二月春日祭、三月石清水臨時祭、四月賀茂祭、五月最勝講宮中大極殿、六月祇園御霊会、七月乞巧奠、八月石清水放生会、九月宜陽殿平座、十月維摩会、十一月五節、十二月内侍所御神楽と京の暦をまとめていた。
来年、2008年の暦の読みを、また、今年の11月頃から検討していくが、新暦の2007年12月31日は、旧暦の11月22日で、つちのとゐ、でおわり、2008年1月1日は、かのえのね、からはじまる。

1) 白幡洋三郎、『花見と桜』、平成12年、PHP新書、2000年
2) 櫂未知子、『季語の底力』、平成15年、NHK協会、2003年
3) 小野佐知子、『江戸の花見』、平成4年、築地書館、1992年
4) 笠信太郎、『花見酒の経済』、昭和37年、朝日新聞社、1962年
5) 古今亭志ん朝、『志ん朝の日本語高座』、昭和60年、PHP 1985年
6) 岡田芳朗、『こよみ辞典』、平成5年、柏書房 1993年
7) 南方熊楠、『十二支考』、平成6年、岩波文庫、1994年
8) 沼田頼輔、『日本紋章学』、大正15年、明治書院、1926年
9) 暦の会、『暦の百科事典』、平成11年、本の友社、1999年
10) 広瀬秀雄、『日本史小百科、暦』、昭和53年、東京堂出版、1978年
11) 森島中良、『紅毛雑話』、昭和47年、文弘社、1972年
12) 菅野洋一、『古今歌ことば辞典』、平成10年、新潮選書、1998年
13) 広瀬秀雄、『太陽・月・星と日本人』、昭和54年、雄山閣、1979年
14) 広瀬秀雄、『年・月・日の天文学』、昭和48年、中央公論社、1973年
15) 内田正男、『暦と日本人』、昭和50年、雄山閣出版、1975年
16) 泡坂妻夫、『家紋の話』、平成9年、新潮社、1997年
17) 尾崎紅葉、『金色夜叉』、昭和29、筑摩書房、1954年
18) 内田正男、『暦とのはなし十二ヶ月』、平成3年、雄山閣出版、1991年
19) 高月美樹、『旧暦日々是好日』、平成18年、LUNAWORKS、2006年
20) 宮地伝三郎、『十二支動物誌』、昭和61年、ちくま文庫、1986年
21) 白幡洋三郎、『しらなきゃ恥ずかしい日本文化』、平成15年、ワニブックス、2003年
22) 市古貞次、『曾我物語』、昭和41年、岩波書店、日本古典文学大系、1966年
23) 川島美園、『はじめての飾り結び』、平成18年、水曜社、2006年
24) 泉鏡花、『天守物語』、昭和17年、岩波書店、全集巻26、1942年
25) 中村保雄、『仮面と信仰』、平成3年、新潮選書、1993年
26) 沖中重雄、『二木謙三先生を追慕して』、昭和44年、南江堂、1969年
27) 小松茂美、『手紙の歴史』、昭和51年、岩波新書、1976年
28) 中村保雄、『能面』、平成8年、河原書店、1996年