
志ん朝の得意としていた落語、「崇徳院」です。話しのネタが、"瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ" という百人一首にえらばれている崇徳天皇の御製(ごせい)歌ですので、最後に詳しく百人一首の考察をくわえます。
題 目 「崇徳院」
古今亭志ん朝 CD SONY SRCL3363 から
出囃子 老松
マクラ
1.若旦那の身を案じる父
2.若旦那の恋物語
3.その相手はどこの誰だ
4.熊さんの女房の智恵
5.髪結床と湯屋の徹底捜索
6.つきとめた相手先
さげ 中入り

人間というものは身体が元手でございまして、患うということが一番つまりませんですな。金をかけて治って元々というやつですから。まぁーあの、病の数というのは昔は四百四病とされていまして、今はもっとあるんでしょうが。そのなかで色気のある病というのがあります。目脂女(めやにおんな)に風邪ひき男。ご婦人が目をわずらってるのと、男が風邪をひいているというのは、どことなく色気があるとされておりましてね。ええ、どういうわけかってーと、昔は、目を患うってぇーと、みんな、赤い布で、なでたんだそうですな。これで目をなおそうという、色の白いところに、赤い布があるから、なんともいえなく色気がある。野郎の方はってーと、風邪ひき男。風邪をひいてるのに色気がある。でも人にもよるんでしょうけどね。熱があるってーと目が潤むんできますから、何となくこう色気があるんです。床に起きなおって、ぼんやりしている。友達やなんかが、尋ねてきて。
おお。どうだい。
ん、熱があっていけねぇや。
芝居の世話狂言の二枚目になった料簡で。ほかの病じゃよくないですよ。
どうだい。
いや、痔が出ちゃった。
こりゃ色気もなんともない。ほんとうに色気のあるのは昔からいう恋煩いというやつですな。「夏痩せとこたえてあとは涙かな」。変にこれには色気がありますが。

あ、どうも。
ああ、熊さんかい。こっちへ入っとくれ。忙しいところ、ご苦労さん。
いえ。とんでもない。いえ、いえ、それよりね。あの、あっしはね、若旦那がさ、縁(げん)が悪いというのは知ってるんですがね、ここのところ灼けに仕事が忙しいもんで。来てぇとおもっても来れなかたんですが。すっかりご無沙汰してしまいまして、合いすみません。若旦那、具合はどうなんです。
ありがとう。それがね。どうも弱ったよ。
そうですか。弱りましたか。じゃだれか葬儀社か寺のほうに人は行きましたか。
内の倅(せがれ)はまだ死んじゃいないんだよ。
ああ、死んでないんですか。あ、そうですか、なんだ。
なんだとはなによ。がっかりしちゃ厭やだよ。
弱ったというのはね、何の病気だかわからない。つまり病名がわからない。
お医者さまに、
そりゃ診せた。あっちのお医者さま、こっちのお医者。さあ、一杯みせたんだけど、どのお医者さまも、ただ首を傾げるばかり。病気がわからない。だから手の施しようがない。弱ったよ。当人、どんどんどんどん痩せ細っていくしね。ところがね、2、3日前に来てくださった御医者さまが、なかなかお上手な方とみえて、わたくしが診てどこも悪くないただ、ああやって弱っているいるというのは気の病、なにか腹におもっていることがあるに違いないからそれを聞き出して、その想いを叶えてやれば、きっとあの病人は良くなる。こういってくれたんでね。ん。それから夕べですよ。わたくしと番頭さんとでね一生懸命にね倅に聞いたんだけど、内気な性質(しょうぐん)というものも困ったもんだよ。なんとしても云わないんだ。鯔の終り(とどのつまり)に熊さんにだったら話をしてもいい、こういうところまで、漕ぎ着けたんだ。そこで、忙しいところ来てもらったんだが、ひとつね、倅のところにいって腹に想っていることを聞き出してもらいたいんだ。
そうですか。お易いご用でございますよ、そんなことは。ええ、そりゃね、
あっしは、若旦那の贔屓役者ですからね。あっしには、なんだって喋りますよ。ええ、大丈夫です。必ず聞き出して来ますから。喋らなかったら、はり倒してでも、吐かせてみせますから。
うちの息子は罪人じゃないんだよ。そんな乱暴なことしちゃいけないよ。なにしろ、お医者さまが言うにはね、この分でいくてぇと、五日と保たないといってるんだらか。いいかい。体だはすっかり弱りきっているんだら、あなたが耳元でガンガンガンガンやるってーとね、身体にさわるから、なるべく、やんわりと優しく聞いてやっておくれよ。
へい、わかりました。心配いりませんよ。大丈夫ですよ。若旦那?離室?へい、わかりました。行ってまいりますから。

冗談じゃね。そうやって甘やかすから病気はよくならねーんだよ。性がねぇ。すこし威勢つけてやろうな。おや、若旦那、若旦那。なんだよ、もう、ほんとうにまー。そんなとこに寝てて。どうしたんですよ。ほんとう。だめだよ。病は気からっていうんだよ、え。自分で良くなろうとしなきゃね、どうやったって病は良くならないんだ。しっかりしなよ。しっかり。
お前、大きな声をだしちゃいやだよ。
こりゃ、葬儀社にいったほうがはやいや。若旦那、だめですよ。みんな、心配してるんですよ。わかりました、大きな声はだしませんがね。ちょいと話を聞かしてください。わたしはね、若旦那にいいようにしますから。ね、病名がわからないてぇいうじゃありませんか。なんなんです、その病気て、いうのは?
医者には判らなくったって、わたしにはわかってる。
ふーん、医者にわからねぇで、おまえさんに判っているですか。じゃ若旦那が医者になったほうが早いですね。なんなんです。あっしになら喋れるんでしょ。云ってご覧なさい。
うん。でも、おまえ、笑うといやだな。
いや、笑いはいたしませんよ。ひとが患って居るんじゃありませんか。それを聞いて笑う奴がありますか。笑いはしません。おしゃってください。え?お、なんです、なんです。
ん、それじゃ。話すけれどね、じつはーーーーーーでも、おまえ、なんだか、笑いそうだよ。
お前さんが笑ってんだよ。わたしは笑ねぇんだから、さ、話しなさい。おっしゃいなさいよ。
ん。じゃ云うけど、恋煩い。
なんです。
恋煩い。
恋煩い、プー。
ほら、笑ったじゃないか。
あいすいません。勘弁してください。一片だけ笑せて下さい。そうですか、はなしには聞いてますよ。あるてー話はきいてますけれどね。その病にかかった人に会うのは、あっしは初めて。あっしの周りにはそんなひとは、ひとりも居ませんからね。大層古風な病ですな、どうも。そんな病気をどこで背負(しよ)い込んできたんです。
じつは今から二十日ばかり前だった。定吉を伴につれて、わたしゃは上野の清水さんへお詣りに行ったんだよ。
はー、いいことしなすったね。信ありゃ徳ありっていいますからね。また、あの清水さんてぇのは高台にありますから見晴らしがいいんですよ。あっしも好きでやんすから。ちょいと下をみるってーと弁天様の池がつぁーとあってね。向こうの丘、湯島の天神、神田の明神、こっちかわ見るってーと待乳山聖天の杜(まつちやましょうでんのもり)。なーんともいえねーや。それでね、御堂の脇の茶店。あそこへ寄りましたか?あそこはまた乙な家(うち)でね。腰を懸けるてーと、苦い茶に羊羹が出て。あの羊羹がまた乙な羊羹で。あれいくつ食べました?
羊羹なんか、どうでもいいんだよ。間もなく、あたしの目の前にね。伴の女中を三人連れた、どこかの、お嬢さんふうの人が腰をかけた。わたしゃ、そのお嬢さんの顔をみて驚いたよ。
へー、目が三つですか?
そうじゃないよ、水の垂れるような人なんだ。
そうですか。そりゃ可哀相にね。じゃ早いはなしが蜜柑を踏んづけたような顔ですか。
違うよ。元気ならブツよ。いい女のことをね、水の垂れるようなというだよ。
そんなこというんですか。ちっともしらなっかたもんですから。
わたしがそのお嬢さんの顔をジーとみている。お嬢さんもわたしの顔を見ていた。しばらくして、お嬢さんが立ち上がる。途端に膝の上においてあった茶袱紗が落っこったんだが、それにも気がつかないで、お嬢さん行きかけた。わたしゃ急いで、それを拾ったんだよ。
高く売れましたか?
売りゃしないよ。後を追っててお嬢さんにわたすと、真っ赤な顔をして、蚊の鳴くような声で、礼を言ってから、女中となにか話をしていた。そのうちにね。包みの中から短冊をとりだすと、筆の運びも鮮やかにサラサラとなにか認めて、あたしに、その短冊をくれて、軽く会釈をして、行ってしまったんだが。ね、熊さん。その短冊というのがこれなんだ。ご覧。瀬をはやみ岩にせかるる滝川の、ときて、とほほほほ。
泣くことはねぇじゃないですか。瀬をはやみ岩にせかるる滝川の、短けぇ都々逸ですね。
都々逸(どどいつ)じゃないんだよ。これは崇徳院(すとくいん)さまのお歌で、下の句が、われても末にあはむとぞおもふ。いまは別れ別れになっても、末には夫婦になりましょうという心の歌なんだ。さぁ、これをもらって還ってきてからというものは何をみてもお嬢さんに見えるんだよ。床の間の掛け軸の達磨さんがお嬢さんに見える。鉄瓶がお嬢さんに見える。火鉢がお嬢さんに見える。こうしていたってお前がーーーーーお嬢さんにはみえない。
なんで、あっしだけ外すんだよ。わかりました。早え話がね、そのお嬢さんと一緒になって夫婦になれれば、その病気てぇのは治ちゃうんですね。なーんだ。早くおしゃいよ早く。大丈夫ですよ。あっしゃね、大旦那のところへ行って掛け合ってね、そのお嬢さんと一緒になれるようになんとかしますから。そんな心配することはありません。いや、すいませんがね、話がしにくいから、そこにある、それ、なんてんですか、短冊てぇーの、それ、ちょいっと貸してください。大丈夫ですよ。すぐかえしやすから。チョット借りますよ。

えー行ってまいりました。
ああーご苦労さん。倅はなんていってた。
倅がね。
お前までが倅っていうことはないんだよ。
すみません。じつはね、今から二十日ばかり前だそうですよ。なんか定吉といっしょに上野のね、清水さんへお詣りにいったんですって。ん。それでね。お堂の脇にね茶店があるでしょう。あそこにはいったんで。またあのうちが乙なうちでね。腰をかけるってぇと、苦い茶に羊羹がでて、その羊羹がまた旨い。篦棒に旨い。
ああ、そうかそうか、倅は下戸だからな。倅はその羊羹を食べたいてぇのか?
いやいや、そうじゃない。羊羹はあっしが食べたい。
なんなんだ。はやく話しな。
チョット待ってくんなさい。話は順を追っていかねーと分んなくなちゃうんでね。で、まもなく若旦那の前に女中を三人つれたどっかのお嬢さん風の人が腰をかけた。ひょいとみて驚いたそうですよ。
どうしたんだい。
そのお嬢さんの顔。蜜柑(みかん)を踏んづけたような。
そりゃお気の毒だ。
違う、ちがう。あっしもそう思ったの。お気の毒じゃないんですよ。ほらよく云うでしょう。いいおんなのことを水がこぼれたようなと。
水の垂れるようなってんだよ。
どっちにしても濡れてますな。
何をくだらないこといってんだ。それでどうしたんだい。
おたがいに顔と顔を見合わしているうちに、お嬢さんは立ち上がった。膝のうえに置いてあった、茶袱紗を落っことして気がつかないで、すーと行きかけたんで、若旦那がその茶袱紗てーのを拾って、売ったとおもいますか。
思いはしないよ。倅のこった。ちゃんと届けてやったんだろう。
そう、そうなんですよ。あとを追いかけていって、落としましたよてんで、わたすってーと、お嬢さん、顔を赤らめて蚊の泣くような声で礼をいう。女中と何かを話していたら、包みの中から短冊をチョイトだして、筆の運びも鮮やかにすらすらとしたためて、若旦那に渡していっちゃったというんです。それがね、それがね、旦那。これなんです。これ。これ。これに書いてあるでしょ。
ほら、ほら、あのね。ん、ん、ん、読んでご覧らんなさい。
なんだよ。ええ、瀬をはやみ岩にせかるる滝川の。
短けえ都々逸だとおもうでしょう。
思いやしないよ。これは崇徳院(すとくにん)さまのお歌だよ。下の句がわれても末にあわんとぞおもうてんで。
へー親子ですね。いうことが似てるな。
馬鹿なこというんじゃない。親子でなくっても同じことをいうよ。
これをもらってきたてーと若旦那はもう何をみてもお嬢さんにみえる。掛け軸がお嬢さん、こっちの鉄瓶がお嬢さん、火鉢がお嬢さん。てんであっしだけが違うんですけどね。
あ、そうか、わかった。親ばかちゃんりんそば屋の風鈴だ。なんでそこんとこに気が付かなかったかな。そうかい。わたしはいつまでも子どもだ、子どもだ、とおもっていた。恋煩い。お嬢さんと一緒にさせてやれば、倅は治るんだろ。そうか、倅が気に入った娘さんならうちの嫁 にしてやろうじゃないか。どこのお嬢さんなんだ。どこの?
それがね。どこなんですかね。
どこなんですかねって、なぜきいてこない。
聞いてこないったってね、若旦那が云わないからね。
云わないからじゃないんだよ。それじゃ、こどもの使いと同じ。なぜお嬢さんの名前聞かナインだよ。
そこまで立ち入るのは。
強情なんだよお前は。すぐに聞いてきなさい。
若旦那がそそっかしいものですから。
まだいってやがる。
若旦那、若旦那。
また大きな声をだしちゃいやだよ。
そんなこといってる場合じゃないんですよ。肝心なことを聞きわすれていました。どこのお嬢さんなんです。
わからない。
わからない?名前も所もわからないん、ですか。よわったな。患う具合だったら何故聞かないですか。
だって、わたしは短冊をもらってポーとしてたから聞けなかった。
ん 本当に性がねぇーな。定吉だってついて居るんだから気を利かしゃいいんだよ。まったくもうね。弱りましたね。そりゃ。そのお嬢さんだってそうだよね。歌を半分位、書いてよこすんだったらその短冊にね、名前と町所ぐらいかいておいてくれりゃ手間は省けるんだい。しょうがねーな。よわったね。じゃ若旦那。もうよしなさい。名前も所も判らない、そんなちゃんと書いていかないような。普通だったらね。ありがとうございます。わたしはどこそこの、どういうものですって、ちゃんというもんだ、ね。ただありがとう。そんなしみったれて半分ぐらいの歌なんぞ、よしなさい。そんな女。脇になんかみつけましょう。
いやだよ。その女じゃなきゃ。
わかりましたよ。ちょっといってきますよ。
判ったかい。
いや、わからない。聞かなかったそうで。
しょうがないね。ところも判らない。
ええ名前もなにもわからない。とにかく何も判らない。短冊をもらってポーとしちゃって何にもきかねーうちに、そのお嬢さんいなくなっちゃった。
そうか、弱ったな。
そう、よわったな。
どうしよう。
しかたがないから、このまんま、静かに息引きとってもらうしか。
お前、なにしにきたんだよ店(うち)に。ほんとうにもう倅を助けるんですよ。さがしなさい、そのお嬢さんをさがすんだ。
お嬢さんて、どこのだれだか判らない。
判らないからさがすんでしょう。
そんな雲を掴むような。
大丈夫だよ。どうせ日本人なんだから。
日本人には違いない。日本人もずいぶんいますよ。
たのむヤッテおくれよ。倅のためなんだ。只じゃ頼まないよ。そのお嬢さんを見付けてきたらお前の住んでいる三軒長屋おまえにやるよ。うちにある借金も棒引きにしてやる。やんな。
お話はありがたいんですがね、なんの手懸かりもない。
そんなことはない。このにある短冊。崇徳院さま。これが手懸かりになる。ちょっと待ちなさい。おいおい、そこに硯と紙があるだろう。ちょっと書いとくれ、瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあわんとぞおもう。あ、書けたか。書けたらこっちへもってきなさい。はいはい。これはな倅が大事にしていたでしょう返してやりなさい。これもって。
もってけ、たってさ、こんなもんで探せますか?
探せるんだよ。その気になって探すんだよ。いいかい。お医者さまがね五日位しかもたない、と、そう言ってるんだ。その間に娘さんを見付けてきなさい。もし、お前が見付けてこないんなら。倅に万が一のことがあった時には、わたしはね、お前を倅の敵として名乗って出る。
ちょっとちょとまって下さいよ。冗談じゃない。判りましたよ。こりゃ大変なことになっちゃったな。一端家でも還って茶でものんで考えよう。

今、帰ったよ
お帰り。どうだったい。御店のはなしは。
ばかばかしい話だよ、これ。
なんだい? それは。
ええ、歌の文句が書いてあんだよ。若旦那がね、恋煩いしたんだ。恋煩い。一緒にしてやれば病は治る。ところがね、どこのお嬢さんだか判らない。探してくれってんだよ。
大変じゃないかね。手懸かりてぇのは?
歌だよ。それが手懸かりだよ。
ふーん、こりゃ大変んだ。
もしね、見っけてくれりゃ、五日のうちに探してきたら、今、お前が住んでる三軒長屋をやるて、こう云んだ。
行っといで、行っといで。 行ってください。おまえさん、行ってください。
行くけれど、みつからなかったらどうするんだよ。
みつかる。大丈夫だよ。お前さん、見付けて帰ってくると大家になれるよ。わたしだって大家の女将さんだもんね。行っといでいっといで。さ。早くいっといで。
待ってくれよ。茶の一杯ぐらい
生意気なことをいうんじゃない。見つかるまではうちでは呑ませない。
酷(ひど)いこといいやがんな。
あっち探しこっち探し、一日中歩きましたが判りません。明くる日もまた弁当をもって探しにいっても判りません。その明くる日も、また、その明くる日も判りません。
なにをしてんだ。このひとは。もう焦れったいね。まだ見つからないのかよ。
うるせーなこん畜生。こっちだって一生懸命探し歩いているんだよ。
どういう探しようをしてんだよ。
だから、このへんに水の垂れるのありませんかて。
水道の蛇口を探してんじゃないよ。おまえさんね。うたの文句を書いてもらってきたんでしょう。手懸かりだって、なぜ、それを大きな声でやんないんだよ。
ええ、やったよ。往来で大きな声でやってきたんだよ。
往来で大きな声で云ったってだめ。売り声と間違えちゃうよ。へたするてーと気がふれたとおもわれるよ。
どうも、こどもが大勢付いてくるとおもった。
あのね、湯屋とか髪床や、そういう所に飛び込むんだよ。ああいうところはね、皆が噂を持ち寄ってくるんだよ。そこでもって、そこで、その歌やってごらん。その歌なら、あのところのお嬢さんがてんでこれが手懸かりになってくるんじゃないか。いいかい、空いている所はだめだよ。混んでいる湯屋、髪床をさがして飛び込んでいってやるの。いいかい。今日さがしてこないってーと、もう内に入れないから。はやくいっといで。

もういやだなあぁ。なさけねーな。どうも。毎日毎日歩いて足が棒のようになってしまうし。下手するってぇーと若旦那よりおれのほうが先にいっちゃうかもしんねぇな。よわったな。瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の〜〜。あ、床屋があった。そうそう、こういうところに入(へえ)ると、そういってたからな。えーと、床屋さんですね。
ああ。そうですよ。
あら、やけに空いてるな。誰もいねぇーや。だれもいないんですね。
ええ。すぐに出来ますよ。
そうですか。じゃ、又来ますから。
あんた、すぐにできるんだよ。
出来ちゃいけないんだよ。混んでるとこ。ここは混んでるな。一杯だ。大層詰ってますな。
ええ五、六人待っていただかなくちゃなんないんです。お急ぎでしたら外へ
いえいえ、いいんですよ。わたし詰まっているの探して歩いて居るんで。
溝掃除(どぶそうじ)のようなひとだな。お待ちいただける? はいはい、じゃ、お上がりになってかまいません。そこんところで一服しててください。
そうですか。チョット御免下さい。こんにちは結構な、お天気で、よろしおますな。雨もいいんですがね。表てを歩く分には、え、足下が悪くなっていけません。プー、それで、気が滅入りますからな。やっぱり晴れていたほうがようござんす。ええ。そろそろやってみるかな。瀬をはやみ〜〜〜〜〜〜。
おいおい、どうしたんだい突然に、なんだいお前さん。
気にしちゃいけません。瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の〜。
もし、あなた。ええ、失礼なことをいうようですが、お職人には似合わない歌をご存じですな。
ええ、ごく、なんだ。ええ、ついに二、三日前に、ええ、そうなんです。もう覚えました。何度もいってますから、ええ。いけませんか。
そんなことは御座いません。崇徳院さまのお歌ですから驚きましたよ。
そうなんです。崇徳院さまの。
よくしってますな、あなた。
そうなんですよ。崇徳院という人の歌だって、いってました。なにしろ、近頃どこで憶えてきたのか。娘がその歌ばかりやっていますもんでね。
チョットどいて、あなた。あなた。ちょっとお話がありますがね。あの、いま娘さんがどうの。
ええ、娘がその歌が好きなんで。
これが好き。そうですか。あの、娘さん、水が垂れますか。
いや、水は垂れませんですな。
そうですか。蜜柑を踏みつぶす?
蜜柑なんか踏んづけませんよ。このあいだ大福、踏んづけて、おっかさんにおこらえてました。
あの、いい女ですか。
そらま、近所で鳶が鷹だなんて噂してくれてますな。
そうですか。お幾つですか。
八つです。
瀬をはやみ〜〜〜〜。
湯屋を二十軒、床屋を三十六軒ばかり。もう奴っこさん、顔がピリピリ、フラフラになって。
こんにちは。
いらっしゃい。
床屋さんですね。
そうですよ。
やっていただけますか。
やるっていえば、やらないことはねえが。あなた、さっき、一片、来た人ですね。
そうかもしれません。なにしろ三十六軒目ですから。
やりようがありませんな。
じゃ、ひげ植えてくれますか?
やったこたはぁ、ありませんが。折角こられたんだ。こっちでゆっくりしていってください。
どうもありがとうぞんじます。瀬をはやみーーー。
大夫、弱ってきているね。

へい。
どうも、鳶頭。暫くでしたね。、
ああ、ここんとこ、忙しくってね。
お仕事か。
そうじゃないんだい。馬鹿な話なんだよ。御店のお嬢さんが患っちゃってね。これが、いくら医者にみせてもわからいてんだよ。大旦那なんぞは大変な騒ぎだ。いろんなところからお医者さまがね、来て診てもらうんだけど、どうしても判らない。ところがね、今からね、三、四日前にね、お医者が見立てて、これは気の病。だれか聞かしたほうがよい、てんで宿下がりしている婆やを呼んできて、聞いてみた。するてぇと、これは、恋煩いてんだよ。ああー、恋煩いだったら相手と一緒にさせればいいんだ。
どうしたんだ。
訳きいてみるってぇと、なんだかね、お茶のお稽古の帰りに、清水の観音様にお詣りして、掛け茶屋へ入っていったら自分の座った目の前にね、どっかの若旦那、いい男が座っていて、もう、ポーとなちゃって、立ち上がってでてくる。自分の膝の上においていた茶袱紗が落ちて気が付かなかったんだけど、その、いい男の若旦那てのが、ヒョイト届けてくれた。いい男というのは何しても得なもんだい。それを、お嬢さん、受け取るときにはね、ブルと震えてね、三日三晩震えがとまらない。ああ、それから帰ってきた、てぇものは、何にも喉にとうらない。おまんまが通らない、粥が通らない、雑炊がとうらない、おもゆがとうらない、お水がとうらない、お湯がとうらない、電車が通らない、バスが通らない。こんなに細くなっちゃって、なんとか、探さなっくちゃいけない。みんなで見付けよう。その若旦那をみつけるんだよ。みつけたら褒美に百両あげるよ。百両にみんな目が眩んじゃってさ、みんな目の色かえて、さ、探して歩いてんだ。おれも何度かみつけて、いま百両あれば助かるだよ、え。あんまり忙しいくってね。湯も入れねぇで、湯もあたらねぇんだよ。弱っちゃよ。
大変ですな。ところで、なんか手懸かりか、なにかあるんですか。
その手懸かりてぇのが、ばかばかしい話で下らないだよ。その、お嬢さんがね、なんだかしらないけど、歌をね、半分ばかしね、短冊にかいて、その若旦那てーのに渡したていう。それが歌の文句、書いてもらったんだ。変なうた。瀬をはやみ岩にせかるるたつ川の、われても末にあわんとぞおもう。こんなつまらない、半分やりとりして。わからないねぇーね。若けぇもんはね。
三軒〜〜〜長屋。三〜〜軒長〜〜屋。
なんだい。妙なものが出てきやがったな。
さ・ん・げ・ん・ながや。
おい。はなせ。首から手を、苦しいな。離せ。
離さない。こんなところに三軒長屋。これを探さんがために、おれは毎日足を棒のようにして歩いて。今日だって湯屋に二十軒、髪床に三十六軒。顔なんかピリピリピリピリしちゃって。畜生目、やっと見つかった。お前の出入り先の御店のお嬢さんに用があるんだ。瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の。
ちょっとまて、ちょっとまて。こん畜生。妙な歌をおめえが知っているな。
おい、なにか。するてーと、おめんところの御店の若旦那がその短冊を持ってる?百、百両野郎め。
なんだ。
なんだじゃね。こん畜生。うちの御店にこい。
お前が、うちの御店へこい。
お前がこっちこい。
おめぇこそ。
ちょっと、ちょっと。二人でなにしてんだよ。そんなとこで。危ないてんだよ。よしな。話せばわかるってんだよ。取っ組み合いして、危ないでしょう。しょうがないね。鳶頭、やめとくれ。あ、とっと、ほら、いわねぇこっちゃねーよ。まったく、鳶頭、鏡が割れちゃったじゃないか。
なーに。親方、心配するねぇ。
割(わ)れても末に買(か)わんとぞおもう。

諡(おくりな)、崇徳院は第75代崇徳天皇(1119-1164)のことで、御諱(いみな)は顕仁(あきひと)。鳥羽院の第一皇子である。藤原定家は小倉百人一首に、この「瀬を〜」の句を77番目に撰んでいる。
この歌は『詞花集』に恋上題しらずとして恋歌に分類されているが、じつは、崇徳天皇は保元の乱で降位、讃岐に遠島、流罪されて、その地で崩御されている。都へ帰り、またそこで皆に会おうぞという後白河天皇、藤原忠通への怨念の御歌ではないでしょうか。
瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
落語では、これを題材に、町人の恋煩いを描く、熊さんの汗と涙の捜索を、古今亭志ん朝は、その手振りがおもしろいのでしょう、女性客の大爆笑続きのなかで飛び跳ねるように咄しています。
史実として、その保元の乱(1156年)は皇位継承に不平であった崇徳上皇が、源為義、為朝父子、藤原頼長らを味方につけ、後白河天皇側の、藤原忠通、平清盛、源義朝(牛若丸の父)勢に対して、皇位奪回の武力クーデターに出た。これで平安の世、京都を首都とした桓武天皇794年以来300年間の宮廷人の平安朝も戦乱となったのである。
崇徳院、為朝は敗れ、美服長袖(ちょうしゅう)の公家らも含め、打ち首となったもの多勢。加茂の河原に生首がゴロゴロ転がる有様。乱の発端を作った藤原頼長は頸を矢で射られ、敵将、父忠通への面会も拒まれて、舌を噛みきって自害し、院は讃岐に流島になった。
流島後の崇徳院の憤怒は凄まじく、9年後の46歳で、舌を噛みきり自害されたが、その時血書を作り、願わくば大魔王となって、天下を悩乱せんという誓いをたて、爪も伸びきったまま、御髪もそらず、生きながら天狗のように恐ろしき形での長寛二年八月の崩御であったと保元物語は伝える。これ以後、源平合戦、鎌倉北条、足利、織田、豊臣と日本中戦乱戦国、下克上時代が300年続くことになる。
これも白河天皇が寵愛した少女璋子(たまこ;待賢門院)に崇徳院をもうけ、その後、璋子と孫の鳥羽天皇とのあいだに男子がうまれ、この子を後白河として天皇に据え、崇徳院を降位させたことが混乱の発端。つまり、色気爺の白河天皇が孫に同じ女と関係させるという色事が日本の長期戦乱の世を招いてしまったわけである。
したがって、百人一首の77番目に入っているこの歌は恋い歌、恋煩いの歌では到底なく、都へ、天皇の位にもどりたいという恨みの歌であろうと理解したい。しかし、原典は崇徳院主催の『久安百首』で、飽く迄も、恋歌として入っていて、そこでは初句は「ゆきなやみ」となっていたという。
さて、百人一首の成立について敷衍(ふえん)しておきますが、頓阿(とんあ)の『水蛙眼目』(1361;すいあがんもく)に、小倉百人一首は、宇都宮頼綱(蓮生)が、自分の嵯峨中院小倉山山庄(現在の厭離庵;おんりあん)の障子に貼るための色紙を藤原定家(1162〜1241)に依頼したことにより作成された歌集で、その依頼をうけた定家は、天智天皇の大化改新以降に歌われた古今集から新古今和歌集までの八代集、9557首のなかから百の優れた歌を選ぶという難作業を行った。
八代集とは『古今集』、『後撰集』、『拾遺集』、『後拾遺集』、『金葉集』、『詞花集』、『千載集』、『新古今集』の八つをいいます。
しかし、当代きっての詠い手、定家は1215年、53歳の頃には自分で、この歌集から、1811首を選びだして『定家八代抄』としてまとめてあったので、是より百、選びだすのは比較的容易だったようで、2ヶ月ほどで撰集して、文暦2年1235年73歳の五月下旬には選定が完了していた。定家は79歳でなくなっている。したがって、小倉百人一首は定家最晩年の撰歌集である。
しかし、選定に問題がないわけではない。最後の99、100の後鳥羽院と順徳院の歌はおそらく定家以降にだれかが選出したものとおもわれる。なぜならば、定家の日記『明月記』には家隆(98)、雅経(94)までで、選定し終えたと記載されているからである。
そして、この両天皇は定家の同時代の天皇で、とくに、後鳥羽天皇に定家は嫌われていたし、選出した歌人のことで鎌倉幕府の武士中心の政治に口をはさむことになるため、定家はこの最後の二首はえらんではいなかったのである。
崇徳院は保元の乱(1156)で、後鳥羽天皇(1180-1238)と順徳天皇(1197-1242)は承久の乱(1221)で流罪になっている。後鳥羽院は崇徳天皇と同様、1221年7月13日隠岐へ、順徳院は7月21日佐渡へ島流し、配流になった。定家の百人一首の撰集は1235年で、承久の乱の15年後、その死は、20年後の1241年である。
また、定家の歌集で現在、宮内庁書陵部と日本歌学大系所が所有している『百人秀歌』という小倉百人一首の原本のような歌集がみつかっている。これは昭和26年に有吉保氏が発見したもので、これにも後鳥羽、順徳院は入れておらず、一条院皇后宮、権中納言国信、権中納言長方、源俊頼の四首を選んでいた。これを定家の子、為家が並び替えと99、100に後鳥羽、順徳院の御製歌をえらび、うえの四首をはぶく作業をおこない、現在の百人一首に整えられたと考えられている。
さらに、また、定家の父、皇太后宮大夫俊成と自身の句もはいっているが
世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 父
来る人をまつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身もこがれつつ
定家
これらが選入されているのをみると、定家自身が父と自分の句を撰ぶのは、ちと奇妙で、為家が選んだとすれば祖父、父の歌を選択したことになるので、こちらの方がむしろ自然でしょう。
更に宇都宮頼綱(蓮生)のために作成した小倉色紙の似絵の原本は現存していない。絵もだれが描いたのかは不明であるが、藤原信実であろうとされている。
字の方も定家は73歳で中風、白内障で書ける状態ではなかったし、もともとネズミの糞を馬の尻尾の毛で括(くく)ったような癖字で、定家が書いたかどうか怪しい。このことは、梓澤要の真贋ミステリ小説『百枚の定家』幻冬舎文庫、2001年の"あとがき"にでてくる。小説では小倉色紙が25枚、遺っていることになっている。
実際は小倉百人一首の其の後は、定家の子孫である二条家、京極家、冷泉家に伝わったが偽書が多くなり、そのうえ応仁の乱でほぼ紛失状態であった。しかし、連歌師宗祇が、なんと美濃郡上八幡の東常縁(とうのつねのり)の所有していた小倉色紙を譲り受けていたとされていた。これが本物の小倉か、偽書かどうかも不明であったが、その後、三条西実隆が偽書と鑑定している。したがって、定家の制作した真の小倉色紙は1枚も残ってはいない。
しかし、三十六歌仙に代表されるように百人一首の似絵、小倉色紙は武野紹?、利休、津田宗及らの茶の世界で重宝がられる。
一方、貝覆(かいおおい)、貝合(かいあわせ)、歌貝(うたがい)でも利用されるようになったし、江戸時代にはカルタとして普及している。
それにしても、平安朝の文化が800年後のいまでも正月のカルタ取りで盛んに行われ、今に伝来している百人一首は、世界中でもめずらしい遺産伝承ではないでしょうか。百人一首をカルタあそびにしたのは江戸時代の庶民で、とくに大坂商人たちで持てはやされた。カルタはポルトガル語でカードの意味である。加留多と書く。
百人一首がカルタになって現存している最古のものは、1620年の道勝法親王筆のカルタで、これは滴翠美術館(芦屋)に残っており、木板状です。一般庶民が整然とならべ、カルタ取りを行うようになったのは、宝暦13年1763年、西川祐信の『女教訓詞絵抄』が出版されてからと云われている。
ついで、百人一首には、このような天皇および皇族のうたが13首えらばれているので、その御製(ごせい)の心をみてみたい。
1. 天智天皇 (626-671)
秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ
わが衣手は露にぬれつつ
2. 持統天皇 (645-702)
春すぎて夏来にけらし白妙の
衣ほすてふ天の香具山
13. 陽成院 (868-949)
筑波嶺の峰より落つる男女川
恋ぞつもりて淵となりぬる
15. 光孝天皇 (830-887)
君がため春の野に出でて若菜つむ
わが衣手に雪は降りつつ
20. 元良親王 (877-935)
わびぬれば今はた同じ難波なる
みをつくしても逢はむとぞ思ふ
68. 三条院 (976-1017)
心にもあらでうき世にながらへば
恋しかるべき夜半の月かな
77. 崇徳院 (1119-1164)
瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
88. 皇嘉門院別当 (?)
難波江の芦のかりねのひとよゆゑ
みをつくしてや恋ひわたるべき
89. 式子内親王 (?-1201)
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることのよわりもぞする
90. 殷富門院大輔 (1131-1200)
見せばやな雄島のあまの袖だにも
ぬれにぞぬれし色はかはらず
92. 二条院讃岐 (1141-1217)
わが袖は潮干に見えぬ沖の石の
人こそ知らねかわく間もなし
99. 後鳥羽院 (1180-1239)
人も惜し人も恨めしあぢきなく
世の思ふゆゑにもの思ふ身は
100. 順徳院 (1197-1242)
百敷や古き軒端のしのぶにも
なほあまりある昔なりけり
女帝、皇女をのぞいては、単純な色恋いの歌ではないとおもわれるが、定家撰出の天皇の歌には人の世の儚さを歌った御製の心が垣間見られる。
百人一首には星を歌ったものは撰ばれていない。元々日本にチェンバレンが述べたように星をうたったものは少ないが、新村出は建礼門院右京大夫の歌集の星月夜にみられることを指摘した。
その句は
月をこそながめなれしか星の夜の
ふかきあはれをこよひしりぬる
建礼門院右京大夫は一条伊行の娘で母は夕霧。家系の書道、入木道(じゅぼくどう)、世尊流の家系で『夜鶴庭訓抄』を伝授されている。定家もこの私家集には目を通しているが百人一首のは選ばれていない。
ついで、月をうたったものに、有名な31の坂上是則の歌があります。
朝ぼらけ有明の月とみるまでに
吉野の里にふれる白雪
体言止めで有名な句です。
月は、新月、二日月、三日月、七日月、八日月、九日月、十日余の月、小望月(こもちづき)、望月(満月)、十六夜月(いざよいつき)、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、臥待月(ふしまちづき)、更待月(ふけまちずき)、二十日余の日、二十三夜にわけていた。新月から上弦の月、宵月夜、満月からは下弦の月、朝月夜となる。
また、百人一首の中に動物の名が出てくるものは八首と少ない。
このうち鳥が五首で、山鳥、かささぎ、にわとり、千鳥、ほととぎすで、鹿が二首、昆虫ではきりぎりすが一首である。
91. 後京極摂政前太政大臣
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしきひとりかも寝む
藤原良経の歌で
さむしろに衣かたしき今宵もや
われを待つらむ宇治の橋姫
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
ながながしき夜をひとりかも寝む
本歌取りの歌である。
キリギリスが霜夜鳴くのは変ですが、実は、キリギリスを蟋蟀(しっそつ)と書いて、コオロギのことです。古くはこれをキリギリスとよんでいた。キリギリスは螽?と書きます。
また、松虫と鈴虫とでは平安の頃と現在では逆になっています。チンチロリンと鳴くのが松虫で、リーンリーンと鳴くのが鈴虫ですが、昔は逆でした。
そのほか、87番に寂蓮法師の村雨の首がある。
村雨の露もまだひぬ真木の葉に
露立ちのぼる秋の夕暮れ
これも体言止めの首で、すべて結句で最後の夕暮れに集約していく趣である。
村雨;にわか雨のこと。まだひぬ;まだ渇かない。真木;杉、檜、槇などの常緑樹。
霧;春は霞で秋は霧とかいた。
「村雨」は茶壺の銘で、最近(2004/7)、ナンデモ鑑定団に出品されていたのでビックリ。この茶壺の銘は恐らく、この寂連法師の古今和歌集からとったものである。
織田信長のもっていた中国製の壺で、秀吉、家康、松平に伝った銘器中の銘器です。これをかつて徳川美術館に保管されていたはずなのに、これが、知らぬ間に一般人が所蔵していた。それも20歳の女性で、その時の番組でついた買値が二千萬円。
高いのでビックリしたのではない。逆です。これほどの壺が巷の骨董屋に流れていたこと、若い女性が手に入れていること、国宝級の茶壺が二千万というあまりの安値にビックリ。信長の目利きも丸つぶれといったところである。
話しがどんどんずれていきますが、百人一首は 情緒、歌の景観、恋心、どれをとっても、日本人の心の琴線にふれるものばかりで、恐らく日本古典文学のうち、もっとも人々に親しみの深いものでしょう。ですから落語噺に取り入れられたわけです。
参考書籍
『百人一首古注』吉田幸一、古典文庫、昭和46年、1971年
『百人一首一夕話』尾崎雅喜、岩波文庫、昭和47年、1972年
『百人一首100人の生涯』歴史読本増刊、新人物往来社、昭和55年、1980年
『百人一首100人の歌人』歴史読本増刊、新人物往来社、平成4年1月号、1992
『原色小倉百人一首』鈴木日出男ら、文英堂、平成16年、2004年
『百枚の定家』梓澤要、幻冬舎文庫、2001年